今日も名鉄のハイキングに行ってきました。
土日開催コース以外に常設コースというのが設定されていて、一週間ほどの期間中、好きなときに参加できるのです。
今日は「木漏れ日が降り注ぐ木曽川渡し場遊歩道から可憐に咲くカタクリ」コース。
スタートは日本ライン今渡駅です。
そこからまずは弘法堂へ。
そして、今渡の渡し場跡石畳
中山道の三大難所だったのですね。
「木曽のかけはし、太田の渡し、うすい峠がなくばよい」
と詠われているのだそうです。
そこから木曽川渡し場遊歩道というのを通過しまして
化石林へ。
と書かれています。
今日は水量が多かったのです。
これがそれ…?と思いながら川面を撮った写真がこちら。
微妙…。
そして川並番所杭場跡。
土田川並番所跡と杭跡
江戸時代(1603~1867)、尾張藩は木曽川を支配・管理するため、寛文5年(1665)錦織奉行所を新設し、その配下として川並番所を設置しました。
この川並番所は、木曽川一帯の舟運と材木に関する監視を行う役所で、通行する筏や舟を管理し、また洪水などで流失する御用材や商い材を拾い集めたり、盗木の監視、船荷の改めをしていました。
土田川並番所は、現在の土田地内カヤバ工業の北町グラウンド付近に設置されていたようです。
当時は川岸近くに木の杭を何本も立てて、洪水などで流れて来た御用材や流木を拾い集めていたようです。その杭は川底に穴を掘り固定されてい ました。現在渇水時にその穴跡を岸より見ることが出来ます。
とのことで。
「この辺なんだろうな~」という場所の写真は撮りましたが。
水量が多くて分からなかったです。
次の夜泣き岩は
夜泣き岩
文治元年(西暦1185年)の冬、平家の平知盛が壇ノ浦で海に身を投げてから、その妻が悶々として、昔今渡と土田の境に姫が淵と云う底知れぬ深い淵があり、この淵に身を投じて死んだと伝えられている。しかし現在は川の瀬が変わり、岩は残っているが淵らしきものは見当たらない。
この現在見られる岩を夜泣き岩と云い、伝説によると巨岩で淵の付近にあって、月の澄んだ夜などこの岩の上に幻のような女が白装束に髪を乱して立ってさめざめと泣きその泣き声が川面を流れたと伝えられている。
この幻の女の姿は、平知盛の妻の亡霊であると後の世に伝えられた。以後この岩を夜泣き岩と云っている。
可児町郷土史より
観ることができました。
川沿いの遊歩道ですが竹林の中でいい雰囲気です。
真ん中に木が立ってましたが…何の木?
続いて日特スパークテックWKS(ワークス)パークへ。
広くてきれいな公園でした。
でも、
承久の乱大井戸渡古戦場なんだそうで。
歴史に詳しいと色々楽しめるのでしょう…。
木曽川からそれて、白髭神社へ向かいます。
立ち寄り場所ではないのですが、表示されている地図には八幡神社古墳の文字。
なんか無造作な盛土のような感じですが、これが古墳?かな?
白髭神社は前にも一度お参りしました。
www.takopon8.org
「参道のロープに注意」と地図に表示されていまして
ながーい参道の途中にロープが張られているところがありました。
続いて可児川を渡って
湯の華アイランドへ。
www.spa-yunohana.com
温泉入浴の割引クーポンもありましたが、温泉でまったりしてしまうとその先歩く気力がなくなりそうなのでパス。
でも駐車場に犬山モノレールの車両が展示されてました。
モノレールの窓から絶景が見渡せました。
そしてカタクリ群生地へ。
写真で見るとイマイチなんですよねぇ…。
目で見ると圧巻なんですけども。
スマホカメラで花を撮るのは難しいですね。
ここでお昼時になったので、湯の華食堂でお昼ご飯。
www.spa-yunohana.com
電車+徒歩なのでビールも~。
平打ちピリ辛うどん美味しかったです!
その後、もう一度可児川を渡り
ゴールは可児川駅。
構内踏切で写真を撮って
帰ってきました。
約6.5kmのコースとのことでしたが、湯の華市場や食堂でもウロウロしたので歩いた距離は7.28kmになっていました。
本日も楽しみました~!
日本ライン今渡駅近くのホテル。